不確かな果実

音楽と脳について研究しています。なぜ我々は音楽に感動するのか。

心理物理実験と脳計測実験の仮説の立て方の違い

※筆者が思うことをつらつら書いてるだけなので、誤解・間違いなどあると思います。コメントで指摘していただけると幸いです。


脳波実験をしている僕からすると、心理物理実験の多くは非常にエレガントに見える。

対立する二つの仮説を立ててデータがどちらに転んでも論文なるような実験設計はカッコ良いし、「これぞサイエンス!」という感じがする。脳波をごちゃごちゃとこねくり回しているとなおさらだ。実際、身の回りの心理系の先生は仮説の強さ(どれほど根拠に基づいているか、データで検証可能か、ロジックが通っているか)をかなり気にしている印象がある。

んで、この話をしたら複数の先生・隣研究室のM2に言われてなるほど!と思ったことがあるのでここに書き留めておく。

要は、データの特性である。

行動実験から得られるデータは反応時間・その標準偏差・正答率など低次元なものが多いのに対して、脳波は多チャンネルの時系列データであるため、周波数・位相・パワーの情報が含まれておりかなり高次元である(脳画像も結構高次元なんですかね、知らんけど)。
そうすると、解析方法のバリエーションも自ずと変わってくる。心理物理の論文は読みかじっているだけなので間違っていたら申し訳ないのだが、刺激のパラメータと反応時間で統計モデルを立てて認知的なメカニズムを探るとか、刺激の弁別成績からニューロンの時間周波受容野を考えるとかがオシャレな類で、反応時間や弁別閾を見ている(だけ?)の論文も見かける。対して、脳波は簡単なものなら電位平均やパワースペクトルくらいだが、時間領域で見れば自己相関解析やグランジャー因果、周波数領域で見ればパワーや位相の同期指標(信号処理的にオイラーの力を借りて計算するものや情報理論的に同時確率から相互情報量を探るもの)、空間領域で見れば電極同士の結合に対するグラフ理論的な考察やαパワーの空間的な広がり、と切り口が膨大に存在する。

これを考えると、心理物理の人たちは得られるデータ・観察できる認知メカニズムが限定的だからこそ仮説や実験性に凝らなければ強い論文を作るのは難しいし、低次元データでは探索的な解析もやりづらい(だからこそregistered reportsとかが流行るのかしら)。対して、脳波実験は着目できる切り口が多すぎて、神経律動子の同期が周波数帯域で違いがあるのか位相 (preferred angle) で違いがあるのか、その関係は線形な指標で評価できるものなのか非線形な関係性も考慮しなければならないのかなど、探索的に検証しないと分からない事が多い(し、解析方法がありすぎるからこそ先行研究を参照しても着目している領域がバラつきがちで、集合知でも神経メカニズムが断片的にしか分からないことがある)。刺激の特性や見たい指標に応じて解析方法はある程度絞り込めるが、ここで心理物理実験のような狭い仮説をたてると見逃すものがあまりにも多すぎる(偽陰性とは少し違うけど、そんな感じ)。

もちろん、神経科学でも力強いサーベイに基づいて電極・周波数帯域を限定して仮説ベースに行う研究は多く存在するし、心理物理でもめちゃくちゃ凝った解析をこねくり回す人はいるのだろう(知らんけど)。ただ、registered reportsで事前に宣言した解析方法のみを実行するのは、科学の透明性を担保する一方で、多次元データでこれをやろうとするとデータの海から真珠を見つけられず、(概念的な意味での)検出力を下げてしまうのではないか、という話である。勿論強い仮説ベースの堅い実験はめちゃくちゃカッコいい。ただ、知り合いの先生が事あるごとに「データをじっと眺めよ、そこから見えてくるものがある」と言うように、泥臭い探索的な検証もそれはそれでカッコいいのかな、と思わされた生後三か月の大学院生でした。


実に一年ぶりのブログでした。時間が過ぎるのって早いですねぇ。。。
今後も思うことがあれば書いていこうと思うので、よろしくお願いします。