不確かな果実

音楽と脳について研究しています。なぜ我々は音楽に感動するのか。

研究者としてのアイデンティティ - 「本当に知りたいことは何だ?君は既にユニークなんだよ!」

秋なのに、室内に入るとじわりと汗ばむ季節のことです。

といってもつい先日、11月7日の金曜日。

音楽の報酬感と予測誤差の関係について修論を書こうとする僕の元に、あるツイートが流れてきました。



僕が計画していた実験とほぼ同じものをpublishされてしまいました。いえ、同じものなんて身の程知らずも良いところ。自分は20人程度の被験者を想定していたのに対し、相手方は40人もの被験者を対象とした実験を、しかも2つ行っていたのです。解析方法も洗練されている上に、結果まで非常にセンセーショナル。近年の音楽神経科学の研究をまとめ上げながらも一石を投じるような素晴らしい内容に、ただただ感銘を受けていました。

形式上は「自分の研究を先取りされた」ことになりますが、そんな感情は1ニューロンほども湧きませんでした。

むしろ、当然の結果です。

僕が追いかけていたのはせいぜい2-3の研究グループの論文で、それらは全て単一の線に乗っかっているものでした。一つの直線が辿り着く先なんて臨界期の赤子でも分かります。単一の研究の筋をなんとか追いかけているだけの、神奈川の辺境の学部生が思いつくようなテーマなんて、本家本元が数年前から取り組んでいるのが当然です。

科学を「点」としてではなく「線」として認識できた面白さに舞い上がっていたツケが回ってきたのでしょうか。それでは、線ではなく面として、ネットワークとして、科学を認識すれば良い研究ができるのでしょうか。

そう指導教官に尋ねたところ、それもそうだが、と。

 

それもそうだが、

君が本当に知りたいことは、モチベーションは何だ?
君だからこそ知りたいことは、君しか体験していないことは何だ?
君は既にユニークなのだから、それに気付くことが大事なんだ!

と言われました (要約) 。

 

そうか、自分は既にユニークなのか。

 

どこぞの偉い人の名言で、テレビCMで、ポップソングの歌詞で、内耳の有毛細胞にタコができるほど聞いた言葉ですがやはり実感すると重みが違います。

既存研究の組み合わせも大事。だが、そこに「自分だけが知りたいこと」を加えて自分の土俵を作り上げてしまうことこそが究極の新奇性であり、研究者としてのアイデンティティなのだと。科学のネットワークに残された細かな穴を小手先のテクニックで突くのではなく、 自分自身をノードとして参加させれば誰にも邪魔されないクラスタが出来上がるのだと。

修論までは時間があるので、自分とは誰なのか、自分だからこそ知りたいことは何なのか、どっしりとじっくりと考えてみようと思います。

たとえ熱狂的なファンだとしても、「追っかけ」をしているだけでは決して舞台に上がれないのですから。